理事長所信

 「人間の行動、社会の動き」を言葉に置き換えるのは非常に難しいと思います。更に「人間の感情、社会の本質」を言葉に置き換えることはもっと難しい。そして一旦、言葉に置き換えられ、活字化された文章は計り知れない影響力を持ちます。私は第32代(社)習志野青年会議所の理事長として、言葉の持つ力、影響力を十分に意識して、乏ボキャブラリーを駆使して、且つ責任を持って、この理事長所信を書かなければなりません…。自分の思いをできる限り解り易く全メンバー伝えなければなりません…。が、所詮文章、私がこの所信で伝えきれず、メンバー皆様に伝わらなかった部分は今後、積極的に個々のメンバーとコミュニケーションをとっていきたいと思っています。そして、全メンバーの皆様、是非皆様の個々の思い・考えを私に伝えて下さい。納得するまで話す事、それは理事長としての大きな責務の1つであると思っています。

“国家であれ、企業であれ、外からの攻撃によって滅びるものではない!
内に創造性を失った瞬間から滅亡が始まる!”

これは英国歴史学者アーノルド・トインビーの言葉です。
1200年代の英国で僧侶・科学者・発明家であったロジャーベーコンは、人が無知になる原因として、
 ●権威を崇拝して思考停止になる。
 ●旧慣墨守(きゅうかんぼくしゅ)で新しい刺激を受け付けなくなる。
 ●大衆迎合(たいしゅうげいごう)で目立たない事を第一に心がけるようになる。
 ●知っているふりをする。
と言っています。
これらは、JC運動に大きな示唆を与える言葉だと私は思います。

 青年会議所はそもそも「社会を積極的に変革する」集団であって、メンバーは変革の能動者でなければなりません。青年会議所活動から創造性が失われたら、アーノルド・トインビーの言葉の通り青年会議所は衰退し、その存在意義も消滅します。また、もしロジャーベーコンの言っているような行動をとっていたとしたら、と ど止め処もなく湧き出る世の中を変えるような面白い発想、即ち創造力は全く期待できません。

 私は本年度のLOMスローガンに「知行合一(ちこうごういつ)」を掲げさせて頂きました。この言葉は中国の明時代の陽明学(ようめいがく)王陽明(おうようめい)の学説です。「知=心(心は人間を主宰するもの)ととらえ、知(=心)が良知であり得るためには人間の中にある程度の実践的姿勢が必要であり、知(=心)が何らかの実践的契機と結びついて始めて真に良知たり得る」というのが「知行合一」のもともとの意味です。
 私はこの言葉を首尾一貫した整合性をもって、「知」と「行」を統合する事と考えています。「知=心」現実を冷静に見つめ、冷徹に認識し、未来への創造力を発揮し、「行」明るい豊かな社会を実現していくという意味で使わせてもらいます。

“ 知の再構築! 変質してしまった日本、過去の常識は、現在の非常識! ”

 国民一般が本格的に、「何かおかしい!」と感じ始めたのはバブル経済が弾けて、不況感が深まった1995年頃だと思います。この当時は、ただの不況の調整時期で「2〜3年経てばまた経済は立ち直るんだ。」と思っていたように思います。
 しかし、現実は実はもっと大変なこと、経済だけでなく社会全体の問題が日本を、蝕んでいるのではないかと感じさせることが多くなり、今やその認識が感覚的なものから、数値的な確信に変わっている状態だと思います。例を挙げれば…、

戦後の首尾一貫したインフレ基調(物価上昇)から、突如デフレ基調(物価下落)に変わった。
戦後の社会常識であった広範な権威(財務省・官僚・大銀行・大手ゼネコン・老舗の流通業界・不動産商社等々、そして各家庭の父親までもが・・・)が大失墜した。本来尊敬されるべき人達が尊敬されないようになってきた。そして国際競争に晒されなかった業界はほとんどダメになった。
戦後,戦勝国が主導してきた自虐的史観(じぎゃくてきしかん)による歴史の歪曲(わいきょく)に対して、見直しの潮流(教科書問題に発展)が沸き起こってきた。(新たなナショナリズムの誕生か…世界的に見るとこのナショナリズムは多くの国のトレンドである)
民間の終身雇用・年功序列等の戦後の文化的雇用体系がほぼ消滅した。これによって国民の意識が大いに変化した。(消費行動、学歴や教育意識、結婚感、労働意識等。ちなみに終身雇用や年功序列の雇用形態は戦後の特徴で、戦前には存在していなかった。ある意味戦後は労働市場が硬直していた。)
進歩的文化人(左翼的)に席巻されていた出版業界に、右傾化を感じる出版物が増加した。(そして、進歩的文化人の欺瞞(ぎまん)や偽善を感じるようになった。)
などなど…
 以上のことだけでも議論すれば百家争鳴(ひゃっかそうめい)で、皆さんには、まだまだ気が付くことがいくらでも出てくると思います。このように過去の当然しかるべき事と思われていた常識が、現在の非常識になりつつあります。私達の気が付かないうちに日本はどんどん変化しています。
しかし、かと言って取って代わる何か新しい明確な常識・規範が生まれたわけではなく、まさしくJCの言う混沌(こんとん)という状態になっただけです。
それは日本全体としての未来への創造力が失われてきている事を意味しているのかもしれません。
 世の中が時代と共に大きく移り変わる中で、個人の限られた思考の中では世の中の常識だと思っていたことが、いつの間にか、世の中の非常識になることが多々あるように感じます。
過去の歴史を振り返れば、当時それが正義だと思われていた事も、時代が変われば、諸悪の根源のように言われます。江戸時代の将軍を中心とした幕藩体制も、明治・大正・昭和の帝
国陸海軍も、戦後の左翼系学生運動も、正しいと思って信じていたものが、世の中が変化す
ると全く別の評価になってしまいました。
 よく言われることで「会社の寿命は30年」とありますが、これは30年位経つと世の中が変化し、その会社が創業時と全く同じ事をしていたら、また全く同じ考え(=常識)で経営していたら、創造力が無くなったら、斜陽してしまうと言うことではないかと思います。これは企業の二代目、三代目が多い私達青年会議所のメンバーにとって重要な示唆ではないかと思います。その中の常識や規範が揺るぎなく確固としていれば、その常識や規範を身につければ、そんなに悩み考えることはありません。しかし、今日のように何が常識で何が非常識なのかハッキリとしない時代はどこにも答えはありません。解決の糸口は過去から大いに学び、そして私達自身で新しい世の中を創造していくしかありません。


“今、国の本当の姿、地域の本当の姿を、冷徹に認識しなければならない!
今こそ、憂国(ゆうこく)の士として、全国のJCマンよ立ち上がれ!!”

 「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
 これは皆様ご存知、日本の伝統美を追求したノーベル賞作家・川端康成氏の小説「雪国」の冒頭です。何故この一節を引用したかと言うと、現在、日本は政治的にも経済的にも更に教育や地域コミュニティーといった多くの分野で長く暗いトンネルに入り込み、抜け出すどころか未だ出口の明かりさえ見えない状況の中で、私自身トンネルの先の未来を想い、何か新しい別世界を想像したかったからです。いつ出口が見えるのか、そしてトンネルの先にはどんな世界が待っているのか。真っ白な銀世界が突然目の前に現れるような人の心を動かすような何かが果たして待っているのだろうか、今は誰にもわかりませんが、想い描き創造する事は決して不可能ではないと思うのです。

 しかし出口の別世界を想像する前に、まず私達はこのトンネルが、いかに長く暗いトンネルであるか認識する必要があると思います。まずは表の数値をご覧下さい。

1989年(バブル絶頂期)
2001年
GDP(実質)
444兆円
502兆円
成長率(名目)
7.4%
−2.5%
完全失業率
2.2%
5.2%
国公債残高
254兆円
673兆円
倒産件数
7.234件
19.164件
倒産負債総額
1兆2.322億円
16兆5.196億円
株価(日経平均)
3万8.916円
1万543円(最低 H15.4.28 7.603円)
土地公示価格
7.2%
−4.1%
凶悪犯罪件数
2.894件
4.376件
検挙率
84.9%
56.6%
*統計資料により現在とのタイムラグがあります。現在の国公債残高937兆円(国民1人当たり750万円)以外は、多少の好転は見られるものの総じて状況は2001年から2004まであまり変わりありません。

 トンネルに入り込む前の1989年のバブル期絶頂期と、トンネルから抜け出せなくなった12年後の2001年の日本の姿です。これらの数値は日本の現状を明確に物語っています。
GDPこそ増加していますが、経済成長率はマイナスが続き、労働者の失業率は5%を超え、国の国公債の残高は増大の一途で約12年間で420兆円も増加し、企業の倒産件数の増加はもとよりその企業倒産の負債総額はナント約14倍、株価にいたってはバブルの最高値の約20%、1/5以下にまで暴落しました。暴落率は約80%です。ちなみに1930年代のアメリカの大恐慌の暴落率が85%ですから、歴史的にみると日本は現在、歴史的大恐慌の真っ只中にいるわけです。更に資産減少である土地価格の下落、治安の悪化は数字の表わす通りです。自殺者は年間3万人を超え、一日に約100人近い日本人が尊い命を自ら絶っています。その中には多くの中小零細の企業経営者が含まれているそうです。それは正しく私達JCマンの同志や先輩達です。

 ここで敢えてこれらの数字を並べたのは、この戦後日本の歴史の転換期として重要視されているこの時代をもっと冷徹に認識する必要があると思ったからです。

 我が千葉県に目を向けてみれば、経済の低迷、それに伴う税収の落ち込み、高齢化による福祉関係の費用負担の増加、2兆円を超えた膨大な累積債務(平成元年に5千776億円だったものが14年には2兆955億円にまで膨れ上がった。)、高い経常収支比率、度重なる基金の取り崩し(平成3年に1千477億円あった基金が平成14年にはゼロになった。)、平成14年度の一般会計決算は82億円の赤字となり、約半世紀ぶり、昭和31年以来の財政再建団体に転落します。(但し昭和31年当時はその後の高度経済成長が待っていました。)一県民としても他人事では済まされない状況です。現在も県民1人当たり約35万円の債務負担を負っているのが現状です。
 ここで更に我が習志野に目を向けてみれば、その財政構造は千葉県とほとんど同じ状況で現在、習志野市は市民1人当たり約70万円の債務負担を負っています。
今や日本全国約3300のほとんどの自治体が破産寸前で、私企業であれば多分とっくの昔に倒産しています。
 この現実は、今後、今以上の困難を私達に突きつけていきます。豊かになった後の日本で生まれた私達の世代は、私達の親そして祖父母の世代が経験した塗炭(とたん)の苦しみを、再度経験するのかもしれません。明治維新、大東亜戦争終戦に次ぐ、この第三の国難と言われているこの状況を、私達の親そして祖父母の世代が克服したように、私達の世代もまた乗り切らなければなりません。私達の子供達・子孫の世代に、この「日本」という素晴らしい国を引き渡す義務・責任が私達にはあります。
 こうした厳しい社会状況の中で、20歳から40歳までの志を同じくする私達JCマンは、まさにこの国難とも言うべき現在の日本、更にその地域社会を共に支え、尚且つ強固な信念と勇気を持ってこの状況を打破し、おのおの各々の自己改革とともに、創造力を発揮して、社会全体を変革していかなければなりません。この長く暗いトンネルを抜け出すには日本人一人一人の自覚と改革の努力が必要です。そしてトンネルの向こうに何が待っているのか、それを想い描き創造していく事は明るい豊かなまち都市づくりをひょうぼう標榜するJCマンの社会的使命かもしれません。


“こんとん混沌という未知の可能性を切り拓く、How to思考からWhat思考への転換!!”

 戦後、日本の国際的役割及び方向性は、国際社会の中である程度決定されており、日本国全体がその決定されたレール(西側資本主義自由経済体制・民主主義平和国家)の上を全てが当然の事のように、そして何の疑問も持たずに突き進んできました。更に各企業や自治体は勿論のこと、私たち日本人個々人も戦後に与えられたこのレールの上を同じく突き進んできました。その成果が1980年代に象徴される世界に冠たる経済大国日本の姿であったと思います。歴史上他に類を見ない程の「豊かさ」と「平和」更に「平等」をも実現してしまいました。戦後から1980年代までの半世紀の間は、国家目標(資本主義自由経済体制の成功・民主主義平和国家の達成)が明確で揺ぎ無いものでした。つまり明確な目標があり目的地が分かっている時代です。
つまり「How to思考(どのようにやるか)」が重要な時代であったわけです。
 ところが日本が国家目標をほぼ完璧に達成してしまった事と、1989年末の東西冷戦の終結、1990年初からのバブル経済の崩壊及び右肩上がりの時代の終焉で、世界及び日本の行動指針の根本的な諸条件が激変してしまいました。これを境に国家目標が不明確になり更に各分野で具体的なビジョンが示せずに現在に至っています。今までの頑なに信じていた社会の規範や常識・方向性がよく分からなくなり、先の見えなくなった現在に一番重要なことは、具体的なビジョンを描き示す事であると思います。つまり「What思考(何をするか、何はしないか)」が重要な時代の到来です。これは我が国日本、各自治体や地域、各企業、各家庭、各個人全てに当てはまる事であると私は考えています。そしてそれは我が習志野、そして(社)習志野青年会議所においても全く同じ状況ではないかと思います。
 あのサッカーの強豪国として有名なアルゼンチンという国は20世紀初頭、世界有数の豊かな国でした。多くの人々がヨーロッパから移民していました。あの有名な「母をたずねて三千里」はイタリアから豊かなアルゼンチンに出稼ぎに行った母を主人公マルコが捜しに行く話しですが、それを読むと当時のアルゼンチンの豊かさがよくわかります。ところがいまや、だれもアルゼンチンが豊かな国だとは思わないと思います。つまり、「What思考(何をするか、何はしないか)」が無かった為に全く改革が行われず、国力が急速に低下し、いまや自国通貨も通用しない国となってしまいました。
 何をするのか、そして何をしないのかという「What思考」が問われ、それに伴う意思決定・自己改革、更に実践・行動力が必要な時代が到来している今、それを一番理解し、その能力を兼ね備えている最大の市民団体が青年会議所であると私は考えています。更に青年会議所には地域社会を担う自覚と責任が備わっていると思います。青年会議所は「JC宣言」や「綱領」でこれらを声高らかに謳っています。いまや時代は、Should(すべき)からMust(しなければならない)へと変わりました。


“リーダーとは進む方向を示し、最終意思決定をし、行動する人である!”

 歴史の中でこの「What思考」をわかりやすく示した例はいくつか見受けられます。
 1つは明治維新の志士達です。明治維新は地方の下級武士達が命を賭して実行した日本の大改革でした。あの当時、西欧列強の植民地または属国になりかけていた我が国の行く末を憂い、命を賭して日本という国を短期間で近代化し、半世紀を経ずに世界の列強の仲間入りをさせたのです。その時、彼らは明確に「What」を国民に示しました。世界に蔑まれない国になる、その為に「富国強兵(ふこくきょうへい)」「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」「文明開化(ぶんめいかいか)」等のスローガンを挙げ強力に改革を推し進めています。ほとんどの大改革は明治維新の約10年間でやってしまっています。但し、その時は西欧列強の良きお手本(サンプル)がありました。そういう意味では戦後の日本にもアメリカという手とり足とり教えてくれる良き手本が存在しています。

 しかし、更に凄いのは戦国時代の織田信長です。彼は室町幕府が衰退し群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の戦乱の世に、桶狭間の戦い後,、一躍脚光を浴び時代の風雲児として歴史舞台に登場します。その後の改革、世の中の変革はとても同じ日本人とは思えないほどに発想豊かで創造性に富んでいます。「天下布武(てんかふぶ)」のスローガンのもと、兵農分離で完全な専門戦闘集団を創り出し、楽市楽座(らくいちらくざ)という経済大改革(要するに規制破壊による商品自由市場の創出)を断行し、特権階級である既得権者を一掃してしまいました。そして彼はナント比叡山の焼き討ちを実施し、その当時の超特権階級であり超既得権者である寺院僧侶までを木っ端微塵に潰してしまいました。彼は志しなか半ばにして本能寺で凶刃に倒れましたが,その後安土桃山時代から江戸元禄時代にかけて日本は高度成長を実現していきます。
驚くべき事は、その当時、彼には見本(サンプル)はなく、ほとんどは織田信長の頭の中、つまり織田信長個人の想像力&創造力によって世の中を変革したという事実です。

 世界第2位の経済力を誇り、世界最大の工業生産力と技術力を備え、且つ、今後歴史上類例を見ないスピードで少子高齢化が進む現在の日本に、今や良きお手本(サンプル)はありません。我々JCマンはまさしく想像力&創造力をもって、この国この地域を変革し担っていかなければなりません。
 私ごときが織田信長や明治の志士大先輩達を語るのは大変僭越ではありますが、そこを敢えて語れば、上記例の如くリーダーとは進む方向(what)を示し、最終意思決定をし、行動する人であり、今の時代まさにそうした人材が必要とされています。そして青年会議所はまさにそうした社会を変革する、志の高い人材(リーダー)が集まっている日本最大の集団であると思うのです。


“ ちこう知行ごういつ合一 私達、(社)習志野青年会議所は何を考え、何を創造し、
どんな行動をしていくのか!”

 本年度、具体的には事業方針として大きく3本の柱を考えています。

 1つは地域政策です。ここ数年来の「提言書」「勉強会」「未来予想図・エンターテイメント都市習志野」路線を踏襲し、その実現に向けて、各種政策をより具体化し、諸問題を明確にし、強力に推進していく事です。習志野の未来を創造していきます。

 2つ目は、会員拡大です。世の中を変革するには同じ価値観を共有した1人でも多くの
同志が必要です。そして現在の全国的な青年会議所のメンバーの減少は、真摯(しんし)に認識すべき重要な問題です。(社)習志野青年会議所は1人でも多くのメンバーを増やしていきます。
そして、未来の習志野を背負っていく人材を育てていきます。


 3つ目は地域ネットワークの再構築です。日本全国、地域社会を支えていたネットワークは高齢化し、地域住民と乖離(かいり)してきています。あらたな若い世代の地域ネットワークの再構築の必要性が増大しています。今後の地域を創造していく新しい世代のネットワークを構築します

 そして、それらの当年度の集大成として、現役メンバー、新入会員、OBメンバー、各関係諸団体、行政サイドの方々、そして新しい地域ネットワークに参加する市民と共に「都市(まち)づくり」をテーマとした、イベントを開催します。


《地域政策》

“ 否が応でも都市間競争の土俵に上がらなければならない時代がやって来た!”

 我が都市(まち)習志野を考えるにあたって、私達は国の動向をある程度頭に入れなければならないと思います。それは、地方分権と言いつつも、日本はいまだ堅固な中央集権国家(社会主義国家とも言えるくらい!)であり、何ら法的根拠の無い中央官庁の通達一つでほとんどのことが左右される政治経済システムが歴然と存在しているからです。国の状況をある程度掴んでいなければ、朝令暮改(ちょうれいぼかい)であっという間に置かれる状況が変化してしまいます。ですから、今後私達は冷静にあらゆる数字を追いかけて習志野市の状況を把握し、更に将来・未来の展望及び考察には習志野市の自治体としての利益(自治体益)を考える必要性を強く強調しておきたいと思います。

習志野市の1000億円を超える累積赤字を見るまでも無く、現在日本中の約3.300の地方自治体はそのほとんどが破産寸前です。・・・財政問題
戦後(正確には明治維新以来)首尾一貫して行われてきた中央集権国家体制の弊害が顕著に表面化してきた。(非効率で規制が多すぎる制度上の問題)そして、現在の国の財政状況(累積赤字1.000兆円)では、地方交付税交付金等で地方自治体を支えるのには限界がきている。要するに国にお金が無い。(あるのは将来世代の負債である借金。すなわち国債の大量発行)・・・財政問題
国の財政問題のもと、国は行政改革を断行しようとしている。(既得権者及び抵抗勢力との攻めぎ合い)その行政改革の中で権限を漸次委譲(地方分権)していき地方自治体をある程度独立させ、国の負担を減らしていこうという国の方針。この行政改革の状況は地方自治体も同じ状況である。・・・行政改革
これら、財政問題(国及び各地方自治体)の解決と行政改革を実施するために、地方分権、すなわち合併問題が登場してくる。これは地方行政にも競争原理を導入して、各自治体の運営能力を白日の下にさらす働きがある。・・・合併問題
今や、地域間競争、自治体間競争の時代である。今後は、地域住民と行政が一体となって地域競争力を高める必要がある。なぜなら、競争原理が働いて競争が始まると、必ず勝者と敗者の選別が起こるからだ。敗者になると、その不利益を一番被るのは地域住民だ。

以上の事を認識した上で、私達はこの地域間競争の時代を勝ち抜く為に市民と一体となって行動しなければならないと思います。
 そのためには、私達は現状をより詳しく認識する必要があります。そして、より具体的なヴィジョンを示し、計画を立案し、政策として市民に賛同されるものを創造していかなければなりません。その際に形式的な自己満足に陥るものであってはならないのは言うまでもありません。今後、政策が立案された場合、その後の実行は個々のメンバーはもとより、最終的には地域住民を巻き込んだ政治の問題になることを認識しなければならないでしょう。
その際に私達は自治体益と全体の整合性を最優先に考える必要があると思います。それは一言で言えば大きな目標設定です。どんなコンセプトの都市(まち)を私達は目指していくのか、と言うことです。今まで述べてきたことにプラスして、特に重要だと感じたまち都市づくりのキーワードを列挙しておきます。消費者重視(住民重視)・消費者主権・自由競争・自己責任・弱者保護・コスト負担意識・国際化以上7点です。そして更に、国に対する私達青年経済人
が持つべき精神は反重税金・反過剰福祉・夜警国家・自己防衛の各精神です。以上を念頭に
置いて地域政策を考え、実践していきたいと思います。

《基本コンセプト》
“エンターテイメント都市・習志野Narashino”
―魅力・サービス精神・創造―

 何故、エンターテイメント(entertainment)なのか。
その理由は、まず、その意味を辞書で引くと「もてなし・ご馳走・歓待・演芸・余興・娯楽」といったものがあがっています。エンターテイメントは一つに魅力をイメージしています。今後、都市間競争、自治体間競争の時代に突入するのであれば、都市・地域・自治体に魅力がなければ、人は集まってこないのです。魅力がなければ住民が逃げていってしまうことも十分考えられます。魅力があり、人が集まってくれば、当然、お金も自然と集まってきます。わんさか人が集まればその経済効果は計り知れません。都市に付加価値が高まれば、市及び市民の資産価値も高まります。そして、魅力ある都市ならば、生活していて非常に楽しいと思います。
また、上記「もてなし・歓待」の精神はサービス精神です。今や経済の世界でも世界的に見て、ハードはデフレ傾向ですが、ソフトすなわちサービスは非常に付加価値が高いのです。サービス精神とは、その相手を喜ばし、満足させることです。特に行政にはこの精神が大いに必要で、行政と市民がこの精神をフルに発揮して、業務を遂行し市民がそれを積極的に応援するならば、習志野市は大きく変わるはずです。この精神は顧客第一、言い換えれば市民第一の精神だからです。そして今後は、住民の生活満足度を上げるために切磋琢磨しなければなりません。それは、私たちの企業も同じことです。今後、企業間競争が激化する中で、顧客満足度が上げられない企業は淘汰されていくはずです。つまり、エンターテイメントとは相手にどれだけのサービスを与えられるかというサービス精神を表しています。
最後にもう一つは、魅力ある「演芸・余興・娯楽」を創り出すにはプロデュース(創造)が必要です。要するに、魅力ある、人の集まる都市を創るために、都市をプロデュース(創造)する必要があるのです。エンターテイメントは都市のプロデュース(創造)も意味しているのです。


《会員拡大》

“ 会員拡大は私達(社)習志野青年会議所に突きつけられた緊急課題!”

 今、(社)習志野青年会議所にとって会員拡大と会員資質の向上、つまり都市(まち)づくりの人材確保と人材育成は急務の仕事です。下記の表をご覧下さい。

=会員数の推移=
年度 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004
9月現在
人数 47名 49名 47名 50名 45 54名 41名 41名 34名 32名 34名 35名 43名
人数 62213 67309 66373 64977 63469 60468 61802 59414 54910 52435 49610 47432
*上段は習志野JC、下段は日本JCの会員数です。

  1992年は私が入会した年ですが、ご覧の通り本年度は多少改善されましたが1997年を境に顕著な減少傾向は誰の目にも明らかです。更に日本JC全体でみても最盛期の約2/3にまで減少しています。そして向う3年間に約20名以上の会員が卒業してしまいます。この会員拡大と会員資質の向上は私に課された責任であると認識しています。

“ 青年会議所は組織なのか、それとも共同体なのか… ”

 ここで、組織と共同体について一考したいと思います。
そもそも一般に組織とはある実現したい目的がまず最初にあり、その目的遂行のために適材適所の人員配置で組織が出来上がります。だから組織としての活動の結果が重要であり、納得のいく結果が残せない場合は当然、責任問題になります。それが健全な組織です。組織とは目的達成のための人の集合体です。JCの目的には「社会の積極的変革」と共にメンバー個人の修練という側面があるので、一般的にはどんな事業にも失敗はありませんが…
 では、日本型組織又は共同体とは何か。それは、ほぼ同じ価値観を持った人が集まり、当初の目的実現を超えて、内部の人間関係(居心地)を、又はその組織の権限拡大・規模拡大を無意識の内に行っていきます。だから、一度始めたものは、人間関係が複雑に絡み合い人間関係を必要以上に配慮することによって、止めることがなかなかできません。
 また日本型組織・共同体は結束力が固い。そして、その結束力が固ければ固い程、閉鎖的集団になっていきます。当然、人事や金銭は内部のごく少数権力者のお手盛りとなり、内部結束を固めて閉鎖集団を作れば、外で通用しない人間が出来上がり、より一層内部結束が強化されるという悪循環に陥ります。外に閉ざされた集団であればあるほど、その組織内の肩書き・役職が絶対的に重要になり、その組織内でしか通用しない人間が、その組織内でいい奴と言われる人材になりそういう人ほど忠勤に励み、またどんどん忠誠心が強まります。
 ある組織が共同体化すればするほど、その組織の本来の目的から離れ、組織内が硬直化し新しい意見斬新な考えが排除され、創造性がなくなり、過度に過去の習慣・慣例にこだわる雰囲気ができあがります。そして組織の自己改革が困難になり、組織と時代とのギャップが拡がるにつれ組織の衰退は加速していきます。私達は、組織と共同体の違いを意識的に自覚する必要があるのではないでしょうか。今、日本の多くの組織が自己改革できずに衰退を始めている…。私達、(社)習志野青年会議所は組織を自覚し、今後の習志野を創造していく同志を1人でも多く増やさなければなりません。


《地域ネットワークの再構築》

いつの時代でも新しく世の中を切り開いていくのは若者です。世の中、社会が変化した今、私達は新たな都市(まち)を創造するために将来の社会を担っていく市民と共に進んでいかなくてはなりません。今までこの地域社会を支えてきた先人たちの功績には最大限の敬意をはらいながら、私達は自覚と責任を持って次世代の準備をしなければなりません。只のお題目にならないよう、継続性のある、積極的な活動を伴う地域ネットワークを構築します。


 最後に、私達青年は時代の変化を敏感に感じ取る感性を養い意識し、自分なりに時代を冷静に分析し、時代に則して自己改革(自己決断)を実行しなければなりません。《知と行、つまり思考と行動》を一致させなければなりません。それが自分の子供の教育方針や家族の将来、会社・そして地域社会、社会全体から日本という国の存続、繁栄に繋がっていくと私は信じています。事実、歴史を振り返ると、頑なに変化を拒み、また変化に対応しなかった国、地域、会社、家族は、運の良かったいくつかの例外を除けば、そのほとんどが斜陽(しゃよう)するか、運が悪ければ消滅してしまいました。そんな例は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

今、日本の中のあらゆる権威が相対的に崩壊しています。古今東西、国や文明が崩壊していく時には、必ずモラルが低下し、退廃的な文化が栄えています。日本の現状を見る限り日本もその例外ではない感があります。それはその国や文明を支える土台がぐずれてくるからです。これは国だけではありません。宗教や軍隊や企業や学校、地域社会、どんな組織でも同じです。そして、私達の家庭でも全く同じです。
私達は、幸か不幸かこの混沌(こんとん)としたこの時期に、青年会議所運動をしています。私達の世代の社会的責任は重大です。現在の私達には、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん達、先人の人達と、私達の子供達である未来の人達に対する確固とした責任があります。私達の先人達が営々(えいえい)と営んできたこの素晴らしい日本の国を、未来の世代に引き渡す為に、私達の世代が、誇りある日本人として、自覚と責任を持って力強く、我が国日本と各地域社会を支えて行こうではありませんか!

私達の将来、そして私達の子供達の未来は、現在の私達自身の決断に委ねられているのです!!